2013年7月14日日曜日

151 p. ex 120


1.  故に、徳は汝によって教えられうることであると思われる。
2.  敵達は出帆した、無為のままに。
3.  もしあなたが友人らに好かれたいなら、友人に親切を示す(である)べきである。
4.  もし彼(?)が身体が良好でありたいなら、苦労と汗とともに身体を訓練せねばならぬ。
5.  知恵は汝に愛されるべきだ。
6.  いかにして彼らがひそかに免れないか警戒せねばならぬ。
7.  我々はより善きものにしたがわねばならぬ、神であれ人であれ。
8. いかにして魂が最善になれるか、魂を気遣わねばならぬ。
9.  美しい名前の方が富んだ国よりも望ましい。
10.  (主観的に)哲学をされるべきにせよ、哲学をされないべきにせよ、哲学がされなくてはならない。
しかるに(客観的に)哲学をすべきか、哲学をしないべきか?
さればやはり哲学がされるべきである。

 わかりにくい問題ですが、この課の学習事項である
動詞的形容詞の非人称的用法と人称的用法の区別が要点になっていると解釈しました。次の課154ページででてくる否定詞で、
μη
が主観的な否定とされているので
 最初の句は主観的、すなわち人称的動詞的形容詞として解すると、受動態になります。
次に出てくる否定詞が
ου
なので今度は動詞的形容詞の非人称的用法、能動態。

 主観から客観へと判断を移して、結論を出すという理屈の流れがいまひとつわかったようなわからないようなけむにまかれたような文になってしまいますが、いずれにしろ文章の構成からして、もともとレトリック的な文みたいなので、これ以上、明快にできるかどうかわかりません。 
 池田『古典ギリシア語入門』109ページ動形容詞の項目参考。
ここに動形容詞の受動態能動態という区別がされていたのをみて、解釈してみたのですが。間違ってるかもしれません、正解を教えていただきたいです。

2 件のコメント:

  1. 10. 哲学するべきか、しないべきか(という二つの選択肢しかないならば)、哲学すべき。
    しかるに実際、哲学するべきか、しないべきか(という二つの選択肢しかない)である。
    ゆえに、哲学すべき。
    ということではないかと思います。
    条件文の否定詞については359節参照。

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  2. 1. ἄρα「ゆえに」ではなく ἆρα「はたして……か」です。

    4. βούλει なので「彼」ではなく「君」ですね。

    6., 8. ὅπως は「いかにして」ではなくふつうに「ように、ために」という目的でよいかと。

    9. πόλις「国」ではなく πολύς「多くの」です。

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