2013年7月16日火曜日

148 p. ex 118


1.  私は神々が存在するとは考えない。
2.  *こんなことを知らないのだから、私は自分が知らない(無知な)のだと考える。
3. 私はいまだこの国でこれよりも大きな善が私たちに起きたことを知らない。
4.  **一方で彼は知らないで、何を知るべきかを考え、他方で、私はといえば知っているとは思わない、それはまったく知らないのと同じことだ。
5.  私は見る、戦争が多くの禍のもととなったことを。
6.  正確に考察すれば、あなたは多くの独裁者たちが友であるように最もみえる者たちによって殺されたことを発見するだろう。
7.  彼が人生の目的に到れればよいのだが、私たちがむなしく人生を生きてしまったと自覚しないように。
8. もしもあなたが真面目だったなら、追従者らを信じなかったのだが、と私は言った。
9.  彼は言った、もし我々が光をもたなかったなら、我々は盲人に似る。
10.  ソクラテスは言った、もしも害を加えるか、加えられるかが避けられないなら、むしろ害を加えられることを選んだだろうと。

*分詞構文の後のつながりがこれでは破格になってしまうので、腑に落ちないのですが
英語でいえば
Not knowing thus and I consider I don't know.
Not knowing this, so I consider myself ignorant.
Without knowing this -.
 こなれたつながりにしようとしても、やはり分詞構文がこのままでは英語などでは破格扱いは免れないように思いますが、ギリシャ語ではこうした分詞構文の用法まで可能かどうか。
 分詞構文+ και
で用例が見つかれば安心できるのですが。。
 あるいは自分の分詞構文の解釈による構文理解は間違った線なのでしょうか?

2 件のコメント:

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  2. 2. 私はそのように知らないし、知らないと思っている。プラトン『ソクラテスの弁明』参照。
    4. 彼は知らないのに何か知っていると思っているが、私は、(じじつ)知らないというそのとおりに、知らないと思っている。これもプラトン『ソクラテスの弁明』参照。
    7. われわれが人生の終わりに到達して(到達したとき)、むなしく人生を生きてしまったと自覚することがありませんように。

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